俺が異常か?日本が異常か?

筆者の「メカ」がパニック障害になった細かい経緯を説明します。

と言っても、既に書き綴ったも同然なのですが・・・。

まだ、具体的な内容については触れておりません。

 

ワタクシめは

高校を卒業後に、とある専門学校へ進学。

しかし、高校生時代に進路を定められなかったワタクシめは

学校の評価を稼ぎたい進路指導教員の勧めるまま

その専門学校へ入学(出来てしまいました)。

思えば、そこが負のスパイラルの入り口。

 

興味もねぇ、知識もねぇ、序にやる気も全然ねぇ!な筆者は

見事に一年で中退。

その頃から、両親とも上手く行かなくなりました。

それでも、一か月のプー太郎を経て、身内の勧めで

病院で「看護助手」に。

やってみれば、楽しいもので患者との会話や生活の補助は

ワタクシめに少しばかりのやりがいを与えてくれました。

 

そうして、凡そ2年が過ぎ新人でもなくなり

おば様がたとの紛争まがいの労働をしていた時

父、急死の一報が。

正直、今でも恥ずかしくて言えないのですが

父の事を尊敬しておりました。

大らかで寡黙だった父、家で仕事の愚痴は愚か、内容なども聞いた事は無く

家庭に仕事を持ち込まない父でした。

歳を重ねるごとに、その難しさを知り偉大さを知る。

 

その父が亡くなった事をきっかけに、負の歯車は動き出した。

忌引として一週間の休みの後、職場では

心配していただく声も、確かにあった。そこまでなら、よくある話なのです。

 

その一か月後。

今度は、ワタクシめが気胸というものを患い

症状が軽かった為に、2週間の自宅療養。

職場復帰した時には既に、ワタクシめにも分かる「次はないから」という空気。

看護師たちは、気胸の恐ろしさを知るが故に

其処でも心配の声があがる一方で

その後ろに渦巻くおば様方の「いい加減にしろよ」という目線。

しかし、気胸というものは繰り返すものです。

案の定、今度は手術が必要なレベルで再発。

しかも、それが2度も。

 

最後に職場復帰した時の、おば様方からの冷たい一言は忘れません。

「で?次は何時休むの?」

あまりにもむごい一言ではないか?

とうとう、爆発したワタクシめは上司にこれでもかと文句を言って

辞職をしました。

その直後、しばらくは家でのんびりできると思ったのもつかの間。

2年間、冷たい仕打ちをされ続けたワタクシめの精神は

もう、歪んでいました。

新しく、就く事になった介護施設

心から喜んで仕事が出来なくなっていました。

前回の記事と重複しますが

仕事の前になると、気分が悪くなり

玄関の前では手が震え、動悸は早まり、その場から動けない日々。

トイレに駆け込み、出すものを出したらスッキリしている内に出勤。

そんな日々でした。

 

そして、今

筆者であるワタクシめは、新たな脅威?を前にしています。

 

母が病気に倒れ、通院の為に職場へ連絡。

ワタクシめは「休む」つもりでした。

 

しかし、職場の対応はあっけない物でした。

「お母さんの病院?そうか・・・。で何時ごろに来れるの?」

「えっ?」

「ん?病院に寄るから遅刻するって事でしょう?だから、何時頃に来れるの?」

 

おい、待てよ。

たしかに「たかがお見舞い程度」だよ。

でもよ、心ってものはないのか?

たしかに、仕事に穴開けるのも申し訳ない事だしな。

とち狂った女性が言いそうな「仕事と~どっちが大事?」ってか?

あぁ、そうかい。ふざけた世の中に乾杯してやろうじゃないの。

 

俺は赤の他人のじーさんばーさんの世話と引き換えに

家族を犠牲にすればいいってか。

それが資格か?

 

そんな資格、とったつもりはないんだがな。

ふざけた社会に・・・乾杯!