負のスパイラル。どう止める?

こんばんは。メカです。

 

皆さん、誰しも経験したことがあるであろう

「負のスパイラル」

例えば、朝起きて「怠い」から始まる地獄のような葛藤。

これも、一種のスパイラルの入り口であります。

これが、通常であれば

「怠い」けど「行かねば」という使命感が勝り

出勤、ないし外出という事になりますね。

ですが、これが

我々、精神的に参った者達からすると

この入り口が越えられないのです。(というか無理をすれば悪影響です。)

そうして、行き着くところまで行き着くのであります。

 

例えば、メカの事例ですと

挑戦したい事はある。が、その資金がない。

なぜなら、仕事に行けていないから。

無理に仕事に行っては、体調を崩し休む。

一度休んでしまったら復帰が辛い。

転職を考え、やりたい事などを模索するも・・・。

 

という、ループです。

 

この場合、皆さんならどういう手を打つでしょうか。

恥ずかしながら、メカの場合

仕事の日数・時間を短くする。という事。

しかし、それでも人間。「やりたくない事」には我慢が出来ず

徐々にフェードアウト(退職)でした。

現在も、その方向で進んでいる?ような所です。

 

なぜなら、1月の出勤は殆ど出ておらず

あまつさえ、1月最終日の明日の出勤ですら

出勤するかどうかを悩んでいる状況です。

 

なぜこうなっているか。というと

単に、パニックで体調が安定していない。という事ではなく

「挑戦したい事があるから」でしょう。

昔から、やりたい事はガンガンやっていた性分

やりたい事を目の前に、やりたくない事を続けるなど

地獄も同義です。

 

しかし、目標を設定し、それに向けて行動。という

明確な道筋が見えていれば

メカは少し、やる気が出ます。

 

ですが、現状はどうでしょうか?

メカが「挑戦したい事」というのは

ちょっとした小売業なのですが、現状は介護業です。

腰を低く相手の立場でものを考える。という事は

学ぶべきポイントでしたが

介護の技が何に生きるのか。不透明です・・・汗

 

故に、先の見えない今を嘆き

動こうとしない自分がいるのです。

 

同じ夢を持てる仲間が欲しいと

ちょっと、足踏みしているメカなのです。

 

皆さんなら、どうしますか?

この連鎖、どう断ち切りますか?

リクガメと佇むという事

皆さん、おはようございます。

メカです。

 

最近の生活についてお話させていただきます。

 

つい先日(と言っても一か月程前)

我が家に、新たな友が加わりました。

「カメ」です。

「リクガメ」です。はい。

 

家族の買い物に付き合い、とあるホームセンターを訪れた時

リクガメを展示している一角を見つけ

昔、ミドリガメを飼っていた事を懐かしんでいた事を思い出し

その話を家族にしたところ、わが家へ迎える運びに。

 

そんな、我が友を眺めていたある時

「俺もこんな風に生きればいいんだ・・・。」と

気付かされたのです。

そして、その日を境に「頑張らない」宣言。

職場には、インフルエンザに罹ったと報告をしたのち

かれこれ、2週間休んでいる現状です。

 

真っ当な社会人から見れば

「お前、明日から来なくていいよ」と言われても

文句は言えません。

 

しかし、この2週間でメカは

改めて、今の職場がどういうものか

再認識するに至りました。

 

お恥ずかしい話

こうして佇んでいたからこそ

「職場からすれば誰でもいい」という事を認識しました。

「居ないなら居ないなりに回る」

此方から、インフルエンザという報告をした手前

連絡がないのは当然なのですが

これだけ穴を空けているのに、再び出勤できる日が何時か。等の

確認の連絡は一切来ません。

 

自分の行った行動の先で

「居ても居なくても変わらない」という状況になったのは

嬉しさ半分悲しさ半分です。

 

前述した「リクガメの様に生きる」という事は

現代社会において、難しい事です。

 

周りが時間に追われ仕事をしている中

自分だけのらりくらりできますか?

「そんな暇があるなら。」と次々仕事を押し付けられるのでは?

それでものらりくらり、時には佇んでいたら

「こいつは使えない」になるでしょう。

 

ではなぜカメは存在しているの?

彼らの様に生きるとは、すなわち

一人で生きる事?

どっかの山奥で、自給自足で生きる事?

でも考えてみてよ。

よくテレビとかでもやってるけど

山奥で自給自足って、都会の人よりパワーがなけりゃ出来ないよ?

それに知ってるかい?

カメは恐ろしく力が強いんですよ?

たとえば、ワニガメ

彼の力の凄い処は、顎の力。

顎だけで、300㎏以上の力があります。

一噛みでキティちゃんの頭一個しか残りません。

 

そして、リクガメにおいては

自身の体重分の荷物を追加で運べますよ。

考えてください。

貴方がもう一人、貴方を背負って活動できますか?(物理的に!)

自分は無理です!

それだけのパワーが彼らにはあります。

にもかかわらず、のんびり生きている彼らは

今の社会人にとって、模範となるべき生き物では?

 

と、仕事をサボっている言い訳を、必死に正当化したいメカです。

その1日に価値などあるのか?

はーい、皆さん

こんにちは。メカです。

 

ここ数日、風邪やら何やらでダウンしていた日々ですが

タイトルの通りです。

つまり、何が言いたいかというと

「社会人」として我々は「働く」訳ですよね?

果たして、その一日にどれ程の価値があるのでしょうか?

確かに、給料という形で対価が帰ってきますね?

 

ですが、貴方が行ったその一日の作業は

その対価に似合った物でしょうか?

 

何時もの通り、メカの場合を事例に上げますが

介護に置いて重要なのは「ケガをさせない事」「変わらぬ毎日を提供する事」

総じて「日常を援助」する事です

ですが、上記の言葉では「綺麗ごと過ぎる」んですね。

 

出勤後、朝礼をし夜勤からの申し送りを聞き

利用者を起こし昼食前の体操やら老化防止の為のクイズやら。

同時に、朝一番で行う排泄介助。

そして、昼食。

次に、体や頭を使ったレクを行い

その後、おやつの時間となり一息入れる。

そして、夕方の排泄介助の後

夕食となり、一連の流れを終え就寝へ。

 

この一日の流れに、凡そパートであれば1h/1000円近くの給料

フルタイムならば8000円前後である。

この数字を多いと感じるか、少ないと感じるかは人それぞれ。

しかし、この議題の当人であるメカはこの数字を「多い」と考えています。

 

昨今、人手不足や質を問われる業界でその一番に上がるのが

「給料の少なさ」ですが

確かに、「熱意を持った人員」からすると「少ない」でしょう。

例えばの話

身内に介護を必要とする方が居て、その技術を学ぶ為

介護を仕事として選び、資格も得た。

・・・という方、そのような方々には「不満な給料」でしょう。

 

ですが、一方で

私は、他の人種も知っています。

夢も情熱もなく、ただただ福祉大学を卒業し、資格を得た者

他の一般企業と比べ、資格の有無で給料が決まるこの業界に

その給料を一般企業と比べて来る者

 

後者の方々に

介護の質を求めた所で、介護の何たるかは理解できていない。

資格の重さも分かっていない。

 

貴方が、介護される方、もしくはその家族であるなら

どちらの人種に8000円を払いますか?

そして、本当に8000円で済む内容でしょうか?

 

恐らく、熱意を持った方々の一日は

8000円では賄いきれない程の有意義な内容と言えるでしょう。

 

・・・だからこそ、人が離れるんですね。

同じ給料でも、仕事の質が他人と違うなら当然、不満も出ます。

 

他にも、幾つか例はありますが

ここで、原点に戻ると

「その一日に、(本当の)価値があったかどうか。」

聞いてみたい所です。

 

前述した、介護の一日の流れも

覚えてしまえば、単純作業の繰り返しです。

果たしてそこに「情熱」という色は何処まで輝くでしょうか?

最初こそ「飛び込んだ勢い」があり新鮮な毎日ですが

慣れてしまえば何てことない毎日です。

というか、変化をつけるのに苦労する日々です。

(レクなど、自分たちで365日休まず考えるんですよ?)

そうもなります。

結果、幾つかのパターンを作りその繰り返しです。

そんな毎日にどうやって情熱を燃やしますか?

また、何時までそれが続きますか?

 

筆者であるメカは

その情熱の灯を、当の昔に失ってしまいました。

 

ではなぜ、続けるのか?

 

「惰性」です。

それ(介護技術)しか知らんのです。

一般企業に勤めようにも、やりたい事も見つからず

熱意もへったくれも伝わらない面接に

誰が受かるでしょうか?

そんな擦れた20代後半を拾うより、新卒取った方がマシでしょ。

で、巡り巡って介護に戻る訳です。

うわぁ~い。資格って、つおいお(^ω^)

 

とまぁ、負のスパイラルになる訳です。

 

皆さんの一日は、どのような価値が付属しているでしょうか?

果たして、孤独とは?

皆さん、おはようございます。

風邪引いて、声ガラッガラのメカです。

 

人間、不思議なもので

弱った時ほど、無力だったり孤独というものを痛感しますな。

現に自分も

普段は、仕事を休んだ事に一定の罪悪感などを感じていますが

それは、やはりパニックの発作ゆえに「仕方ない」と割り切れている部分が

心のどこかにあるから。

しかし、こうした突然の異変で休んだ時

メカの心境は大きく変わります。

 

朝食をとり、寒気に負け布団へ入りしばらくすると

「あぁ、何してるんだろ、俺。」とか「無力やなぁ。」など

普段は考えもしない思考パターンに落ちます。

仕事への罪悪感を通り過ぎ

一、個人としての能力だったり成果素スタイルだったりの

ダメな所ばかりが脳裏に。

 

皆さんも、似たような経験があるのでは?

では、なぜこうした時

人間は孤独を感じるのだろうか。

 

理由は簡単です。

皆さん、子供の頃に病気になった時

どうしていましたか?

メカはリビングで寝てました。

親の出勤直前まで目の届くところに。

そして、出勤後に寂しくないように。と

テレビなりビデオなりを準備してもらい家族を見送る。

これが、メカ(幼少期)の病気対応でした。

 

最初はビデオやらに食い入る様に目線を贈っていましたが

それが何時間も続く訳もなく、終わりを迎えます。

そうして、自身の置かれた立場を再認識するのです。

「怠い」「気分が優れない」「でも、誰も居ない」

結果、幼少の頃のメカが見出した結論。それは

ビデオを変える。又は巻き戻して見直す。という事。

再び、非現実へ没頭するうちに寝ているのが常でした。

そうしている間に眠気に負け、気付けば夕方だった。なんて事もザラです。

 

では、現在は?

仕事を休み、病院へ。

これも、幼少の頃は親が連れて行ってくれたものを

大人になった今「自分で」という孤独。

そして、子供の頃の様に

好きな事に没頭。しかし、思うように眠れず

「何してるんだろうなぁ」と考える。

この期間の事を勝手ながら「絶望期」と呼称してますw

 

この「絶望期」をどう乗り切るかが

本当に孤独なのか?違うのか?の境目なんだろうと

メカは思っています。

 

実の所、未だにその答えは見出せていません。

皆さんは、どんな答えに辿り着くのでしょうか?

手抜きで何が悪い。

皆さん、こんにちは。

メカです。

 

本日も、メカは早朝の「仕事に行くか行かないか」問題を

葛藤しながら、休んだ今です。

思えば、12月も半分、仕事に出ていればいい方・・・。

悪い事だとは認識しています。

都度、色々な理由を模索して休む事に限界を感じています。

 

しかし、状況は好転せず

むしろ、悪化している様で、今まで飲んでいた薬が

効いて居ない様なのです。

となれば、次の診察まではこの状況を続けてでも

資金が底を尽きぬよう努力する他ありません。

 

正直な所

楽しくないのです。

昔はそれでも、誇りをもって仕事をしていました。

介護はなまじ他の人に簡単に真似できる仕事ではなく

その仕事に向き合っている自分がとても強い人間に思えたのです。

そして、資格を手にし技術を学び(技術だけは)一流となりましたが

自己陶酔から覚めた今

楽しめない自分が居ました。

 

なぜなら、仕事が楽しい訳ではなく

その仕事を行う自分に酔っていたから。

余裕ができ、仕事そのものに目を向けた時

楽しさなど微塵も生み出せなかった。

 

今更になって

何かないか?と探していますが

一般企業で務めた事のない私は

一般企業への面接が受かりにくい現状です。

そして、流れ流れて行き着くのは

またしても「介護」なのです。

 

必要としてくれる場があるだけ贅沢だ。と

言われるかもしれませんが

皆さんならお分かりいただけるでしょう。

その「必要だ」という声が重荷になる事が。

その声が縄となり、我々の首を絞め上げていく事に。

 

昔は期待されたかった。

出来る子と褒められたかった。

でも実際は空回りだった。

学生の頃、卒業の時

慣ららずと言っていい程

「優しい人」「面白い人」とかいう

訳の分からない「形のない人」に選ばれていた。

 

社会にでたらどうだろう?

「1から10まで言わないとできない若者」だった。

それが嫌で

1を語られたら2,3を先読みできるように努力しようとした。

でも空回りだった。

その結果

「使えない・人の話を聞かない新人」になった。

それが辛くて

職場を変えた。

でも、結果は同じだった。

そして今

メカは「同年代に腰を低く、頭を下げる中堅」になった。

それはいい。

相手は同年代だ。気を使わなくて済む。

だが、その相手が「技術的に下」だったらどうだろう。

「いや、そこ違うだろう。」と思っても

やはりそこは遠慮が産まれるのだ。

技術だけ一人前でも、気構えが追い付いていないため

自身も間違っている部分を考えると言えなくなるのだ。

 

そして、堪えていた反動が今

サボりといわれても仕方がないが

サボって何が悪い?

体調が優れず、出歩くことが難しいのは事実だ。

例えソレが一過性の物ですぐ良くなったとしても

それに苦しんできた時間がどれだけ長いか

他人には理解できまい。

手抜きで何が悪い?

もう、頑張らない事に決めたんだ。

職場から文句の電話が掛かってこようが

家族にサボりがバレようが

俺は俺のやりたいように生きる。

確かに、サボった分だけ職場には行きにくいが

俺には技術がある。資格がある。

何処ででも働ける。

 

故に、もう一度

働き方について見直す必要がある。

フルタイムじゃなくていい。

週5じゃなくていい。

続けられるスタイルで・・・続けていこう。

自宅に篭って何をする?

皆さん、お久しぶりです。

今回、お話したいのは

タイトルの通り「自宅に篭って何をするのか」という事です。

 

まぁ、これを言うと大体の人が

寝る・ゲーム・ネットの三拍子かと思います。

 

ですが、そうこうしている間に出て行く物は出て行くんですよね・・・。

自分も休日に「どうにか稼げんものかねぇ?」など

色々と考えを巡らせてはいるのですが

結局の所、想像の域を出ないままです。

そして、悩んでいる間に一週間はあっという間に過ぎ

一か月、一年など気付けば「そんなに過ぎてたの!?」な状態です。

 

今できる事とは何でしょうか。

ゲームであれば「オンライン」

ネットであれば「オンライン」

そう、比較的外に繋がりやすい環境に居るのに

ちょっとした捻りの差で優劣が決まっている。

 

自宅であったとしても

稼ぐ人は面白い様に稼いでいるのにね。

 

我々だからこそ出来る事、あると思うのですが・・・

筆者のワタクシも未だ、その答えに辿り着いておりません。

ましてや、フルタイムで働く筆者は

自由に使える時間が限られている為に

その限られた時間で、一定の成果が見込めなければ

そちらに転向。という事も難しい状況です。

 

なら、答えは簡単なのです。

働く時間をセーブすればいいのです。

しかし、具体案を見つけられていない以上は

それはまだ時期尚早でしょう。

 

何かいい案はない物か?と悩み苦しむメカです。

なぜ、無気力になるのか

精神的な物を抱えていらっしゃる皆さん。

なぜ、我々は無気力感を抱いているのでしょうか。

これは、メカも長い事悩んできた議題です。

 

生活が楽しくない?

熱意が消えた?

理由は様々あるでしょう。

各いうメカも、遊んでいる時は楽しいのに

いざ、日常に戻ると自身の中が空っぽな事に気が付きます。

特にそれを痛感するのは

やはり早朝。出勤前という所でしょうか。

 

学生の頃は、社会人になれば

ある程度、自分の時間が持てるであろう。優雅に仕事をこなして

一日を邁進する。

そんな事を漠然と思いながら過ごしていたものです。

 

ところが

週5で8時間勤務のシステムは

見事、青年の夢を砕きました。

朝起きて、第一に考えるのは「出勤まで何分か?」という事

朝食を摂り「残り時間は?」

仕事場につき考えるのは「今日の内容」

仕事を終え帰宅したらもう夜です。

夕飯食って寝たらもう仕事です。

 

学生時代

似たようなルーティンで生活していたハズなのに

メカはこのルーティンに耐えられませんでした。

恐らく、その違いは

「夢の有る無し」が大きく影響していた事でしょう。

漠然とした夢とはいえ社会に対して「こういう生活だろうなぁ」という

いわば願望。

その願望との落差が、今のメカなのでしょう。

 

ですが、メカはまだ諦めていない。

夢見た生活スタイルは必ず実現できるはず。

例えば、在宅ワーク

外に出る仕事より、はるかに給料面は劣るものの

そこには、「自分らしさ」の価値が付加されます。

 

そう。

メカが夢見た社会人とは

そういうものなのです。

 

恐らく、こういう考えに至るのは

メカの血液型に起因するものでしょう。

自分の血液型はB。

その祖先は、遊牧騎馬民族

動物などを育てながら、あらゆる土地を転々とし生きた部族です。

時折、その生活を羨ましく思う。

しかし、彼らのルーツこそ

今、メカが必死になって追っている物です。

土地を転々としながら、商売を行っていたのが彼らです。

そう。

人に仕える事無く、自身の技量で生きていた部族。

それを、今に当てはめると

「自営業」の人が最も近いでしょう。

 

それ故、メカは自営業に強い憧れを抱いている今日この頃。

 

皆さんは、どんな夢を持っていましたか?

それは、今では無理なのでしょうか?

かつて、持っていた熱量は・・・きっとまだ貴方の中にあるのでは?

「無理だから。」と蓋をして見なかった事にしていませんか?

 

恥ずかしい話

皆さんが昔、持っていた夢とかに興味があるメカです。

だって、似たような夢を持っている人と出会って

共に、夢を追える仲になれたら、素晴らしい事ですから。