踊らされてない?

ここ数日、時事的な記事に触れたメカです。

すこし路線を戻そうかと…笑

 

今回の題材は「金」です。

パニック持ちのメカにとって、週5勤務って過酷です。

・・・否。

今までは、苦痛が合ってもやっていました。

ここら辺の心境については、以前もお話をしましたね。

 

「辛い、苦しい」なんて事は、幾度も記事にしています。

 

では、なぜあえて同じような記事を書くのか?

それは、世の面白い?システムについて話す為です。

 

今のメカのスペックはこうです。

介護初任者・実務者の資格を持ち、経歴も5年弱を現場で経験しています。

現場のリーダー業務などの所謂「肩書き」がない状態でも

週5の8時間勤務で、月20万~の給料が一般的です。

 

一か月、およそ20日以上を働き、ソレです。

一方、世の中には「夜勤専従」で働く方も・・・。

彼らの話を聞き、絶句しました。

 

一回の夜勤で1.1万~2.2万前後。

時間は16~17時間の拘束ではある。

が、月8回前後

その額、日勤でフルに働くソレにも匹敵します。

 

そこで、メカが着目したのは出勤日数の少なさでした。

夜勤は今までもやった事はあるので勝手は理解しています。

確かに、長い時間仕事というのは辛い所ではありますが

実際、やってみると

優雅に時間が流れる物です。

 

金に踊らされ、20日間以上の半日を仕事に費やすのか

1日がっつり働いて、プライベートの時間を増やすのか

その2択が自身の中で産まれた時

応えは直ぐに出ました。

回数を抑えて生活水準を守れるのであれば、それに越したことはない。

月8回の夜勤で15~16万(平均)です。

これ、日勤だったら

自給1000円として、8時間ですから18~19日間働く事に・・・。

 

夜勤で働くだけで、10日近くの日にちを自由に使える。

・・・素敵じゃないですか・・・。

 

金を稼ぐ為に、毎日を犠牲にして金に踊らされる今までとは

オ・サ・ラ・バ・YO~♪

 

このように

生き方を見直してみると、新たな発見があるかも知れません。

無観客

今、スポーツ界や音楽業界で言われる「無観客」。

どっかの評論家は「選手」や「アーティスト」の士気に関わる。と言う。

 

だが・・・

考えてもみろよ。

その声援、本当に届いてる?

 

かつて、メカは剣道を行っていたが

試合中、家族はおろかチームメイトの声すら耳には入らなかった。

何故か?

簡単だよ。

緊張してそれ処じゃなかった。

それは何年経っても同じだった。

格下が相手でも。

剣道の試合は大体、3分弱。

確かにその間、大声は聞こえる。

だが、それが声援なのかブーイングなのか区別が出来ない。

それより大きく聞こえる「自分の心拍音」と「やらねば」という使命感で

もはや、視野も狭く目の前の相手しか見えない。

 

そんな中、人一人の声を聴き分ける程

神経に余裕など残っていないものだ。

マチュアでそれだ。プロの世界はもう「自分が最大の敵」だろう。

プロの言う「声援が力になった」などという言葉は「後付け」に過ぎない。

だって、応援されないわけないのだから。

プロが応援の声一つもなしに、何をもってしてプロか。

ファン一人も居ないプロなど、ただの技術のあるアマだ。

 

そんな中

今、話題にされる「無観客」

それほど騒ぐものか?

プロにとってはその一瞬は「自分だけ」なのに。

外野(第三者)が「声援どうこう」いうのは違う気がする。

そんなのは自己満足であって、テレビの前でも出来る事だ。

 

それに、今の技術的に

「無観客」は不可能ではない。

にも拘わらず、未知の技術の様に取り上げられている様が

メカには面白く映っています。

 

この先の未来、ライブなども無観客が当たり前

見たい所で、見たい時に、見たいだけ。見られるようになる時代が

来ることでしょう・・・。

 

野球なんかも、居酒屋でちょっとした機材を使うだけで

ドームに居る様な・・・ね。

 

さて、某有名アニメのような世界ももう目の前です。

出来れば、乗り遅れたくはない物です・・・。

バウンティーの反乱か?ノアの箱舟か?

皆さん、こんにちは。

花粉飛び交う二月末期。どうお過ごしでしょうか?

 

メカは

引きこもっている中でテレビで騒がれている

「学校を休校に」問題について

ある教師から聞いた思い出話を思い出しています。

 

学生の頃、歴史好きだったメカは

良く、放課後に部活をサボって(おい)その歴史の担当教師を探していました。

そこで、疑問を投げかけた、はいい物の卒業まで答えを見いだせずに終わった疑問が

二つ存在するのです。

それが

ノアの箱舟」と「バウンティーの反乱」

 

結論を言ってしまえば、この二つの事件は

勉強には全く役に立たないしテストの範囲に出る事もない。

が、しかし

その教師は良くその二つの話を授業にも出した。

 

さて、今のこの状況。

まさにバウンティーの反乱が起きそうじゃないか。

子供たちからすればこの「休校」は夢のような出来事だろう。

しかし、逆に春休みの休暇が減る(振替)は

子供たちからすれば、憤りではないか?

休みが終わり、再び外に出る。となった時

「行きたくない」となる子たちはどれ程居るだろうか・・・。

 

一方、大人たちは・・・

子供が家に居るという事で「子供=重荷」となるのでは

意味がない。

「日常」という「船」が沈みかけ、「重荷」を抱え

「仕事」という「板」を探すのか?

 

バウンティーもノアも、どちらも船での出来事なのだ。

人間とはかくも「非日常」に対する耐性がないのだ。

 

それは何故か?

対策しようがないからだ。

天災・人災は「準備」という目に見える形が残る。

だが、今回の件は対策などできない。

そもそもワクチンなど存在しないし、特効薬すらない。

ましてや、通年起こり得た事でもない。

 

さぁ、皆さん

貴方は、海の真っただ中、バウンティーが辿り着いたタヒチ(休暇)です。

貴方は、どう生き抜きますか?

貴方は、どう生活を守りますか?

今起きている「非日常」の「海」に溺れますか?

それとも、過ぎ去ろうとする「タヒチ」に逃げ帰りますか?

これから戻って来るであろう「日常」の「船」に乗る準備はしましたか?

 

かくいうメカも

体調不良やサボりで得た「タヒチ」にしがみ付き

離れたくないと声を張る一人です。

 

回りくどい例えをしましたが

今回の「休校」判断は、ある種危険なのです。

子供にしてみれば、「麻薬」のようなものです。

大人にしてみれば「絞め縄」のようなものです。

 

付和雷同するのは目に見えています。

今から家族間で対策を話し合うべきではないでしょうか?

働かない。という選択肢に。

皆さん、こんにちは。

メカです。

今日の周辺の寒さに震えている所であります。

 

時に、皆さんは

「働けない自分」を卑下しているのでは?

メカの場合は、まさしく「卑下した状態」でした。

事実、親兄弟は何不自由なく仕事に出ている訳で

以前話した「葛藤」こそあれど、一、社会の繋がりとして

仕事に行く様は羨ましくも思えますし、申し訳ない気になります。

 

そして、考えに考えを重ね

辿り着いた先が「働かない」選択。

このご時世、株だの投資だので生きている人間が居るのは事実です。

そう。それを真似て生きる事こそ、自分なりの近道ではないのか?と

模索していた過去があります。

しかし、実際には上手く行くものでもなく・・・。

親にも「何時まで夢物語を!」と怒られた事もしばしば。

 

・・・夢なんかじゃない。

知識や経験が足りなかっただけ。

慎重さや臆病さが足りなかっただけ。

他人は言います「真っ当な仕事で食っていくのが一番楽だ。」と

他人は言います「夢と現実くらい良い加減区別しろ。」と

「働かないで生きていける人なんてホンの僅かだ」

「バカな事言ってないで働け」

 

事実、失敗した例があります。

それを、これ見よがしに笑いながら「だから言ったじゃないか」は

卑怯だと思います。

 

挑戦しない人間に成功はありません。

だから、そこら辺に居る人達は「それなり」止まりなんだ。

やりたい事を仕事にして、心から笑ってる人は何処にいる?

出勤の電車の中

下向いて生気のないサラリーマンか学生位しか見たことないぞ。

 

俺は、俺なりに

笑顔になろうと考えたんだ。

何日も考えた。

勿論、失敗が9割だって事も視野にはあった。

だが、試さない事には納得できなかったんだ。

世間の事を知らない若者だから。

失敗しないと納得できなかったんだ。

そして、失敗して尚、どうすれば成功するか。

考えないと終われないじゃないか。

だって、諦めずに居れば夢が叶うと教わって生きて来たんだぜ?

その為の努力を惜しまないように。って教わって来たんだぜ?

後世に名を遺した天才たちが、生きていた頃

どんな変人扱いされてきたか、想像できるか?

俺には出来る。

とんでもない仕打ちまで受けた偉人だっている事だろう。

 

でも、彼らは「死ぬまで夢を追ったんだ」

その時間がどれだけ充実したものか・・・想像に難くない。

寝ても醒めても「ソレ」の事だけ考えて

「ソレ」と関わって居たいからこそ努力した。

 

だが一つ。

彼らとメカの違いがある。

それは、努力のベクトルだろう。

彼らが「ソレ」を追い続ける為に、彼らは「対価を作る」努力も惜しまなかった。

恐らくは、そこが大きな差だ。

 

話を大きく戻すと

今の時代、チャンスは希薄になっている気がするのだ。

ひと昔前であれば「高学歴=成功論者」であったが

今はどうだ?

エリート出などゴロゴロいる。

だが、そんなエリートでさえ「右向け、右!」でそれに倣う。

左を見る様な奴が居ないから「言われた事しか出来んのか」と

若者をやじる輩が居る。

でも左を見たらどうだ?

「言われた事すら出来んのか」ってお前(笑

そりゃねぇよ。

 

だから、俺は働けない。

働く事に生き甲斐を感じない。

縦社会に嫌気が差した。

「長い物には巻かれろ」って良く説教されるけど・・・。

ごめん。寿司詰め状態って嫌いなんだ・・・。

 

そして、働かない選択をしたいメカさんは

今日も、明日を食い繋ぐ方法を悩んでいるのである。

日本人で良かった?

昨今のニュースに耳を傾けていると

「日本人で良かったなぁ。」と思う事と

「日本人で良かったのか?」と思う事がしばしばあるメカです。

 

例えばの話

時事的な例を上げると「新型コロナウイルス

前述した「日本人で良かった」と思える点は

例え、隣近所で感染者が出た。としてもメカは差別しない自信があります。

それは何故か?

メカは幼き頃より、「無知こそ恥だ」と思っているから。

知らぬ存ぜぬの段階でソレを遠ざける事は解決にはならないと知っているから。

そして、その人間性を育んだのは紛れもない「日本の文化で生きていたから」

日本の中で「差別は恥だ」と教わりながら生きて来たから。

 

一方、「日本人で良かったのか?」と思う点は

これだけ世間を騒がせた「新型コロナ」

知ってますか?

中国では、もはや外で仕事をするべきではない。と踏み切り

自宅で出来る仕事は自宅で。というスタイルを執っているそうです。

しかし、日本はどうだ?

恐らく、これから先に中国以上の感染者を出したとしても

外へ出て仕事をしろ。というスタイルは変わらないでしょう。

その結果、とある屋形船の件といい、とある病院での院内感染の件といい

広げている状況です。

この屋形船に乗っていた方は、今現在

額や背筋に冷や汗を流しながら生活している事でしょう。

 

もし、日本に感染者が出た時点で、中国を見習い

可能な限り、不必要な接触を避ける様な政策を取っていれば

こうはならなかったでしょう。

あまつさえ「桜を見る会の白塗りがどうだ」とか

どうでも良い事ばかり論争し、足の引っ張り合いをしている日本だ。

この期に及んで、一議員のクビや進退について論争する国だ。

すげぇ国だと思わないか?

 

と、まぁ

例えはここまでに。

 

皆さんは、どうでしょう?

「日本人でよかった?」それとも・・・。

 

メカの場合

日本人であって日本人でない。そんな人種のような気がします。

そして、その心理的ギャップが

「心のストレス」として、楔を残しているのかも知れません。

そう、まるで「自分だけ文化が違う」ような・・・ね。

その証明の為に生きる。

皆さん、こんばんは。

メカです。

 

相も変わらず、仕事に行けない日々を送っています。

そして、今日

しびれを切らし、市役所へ。

何かしらの援助が受けられない物か?と行動を起こしました。

結論からいうと、多くな変化はありません。

しかし、障碍者手帳の申請に必要である診断書の事など

詳しく話を聞くことが出来、少し安堵しています。

病院に行き、診断書片手に再び市役所へ行くことで

メカの小さな一歩が踏み出される事でしょう。

 

話は変わって、皆さん。

自身が何のために生きているか。考えた事・・・ありますよね?

実は、メカは小学生(それも低学年の内に)その答えに

辿り着いていました。

その答え。それは

「意味など存在しない。」という事。

もっと明確に言いましょう

「その意味は自分が作らねば存在しない。」という事。

 

メカも事ある毎に

「なぜ、俺のような者が産まれたんだ・・・。」

「産まれなければ・・・。」と自己嫌悪した時期があります。

しかし、なぜ産まれたか?

そんなの、自分の親が望んだから。でしょう。

(中には望んでないケースもあるのは承知していますが・・・。)

でも、その大部分の方が

その結果に対して「価値」を求める訳です。

 

「自分の価値」なんて「自分で作る物」です。

「貴方は何ですか?」

貴方は「物」ではありません。「人」です。

「物であったらどれだけよかっただろう」それはメカも思います。

しかし、同時にそれを思うこと自体「自分が人である」と

無意識の証明をしているわけです。

 

大概の物は「産まれた傍から価値が付属している」ものです。

では、その価値は「誰が定めたもの」でしょうか?

「人」です。

「人が価値を決める」のです。

ではもう一度聞きます。

「貴方は何ですか?」

 

「人(ヒト)が決める」のであって「他人(ヒト)が決める」事ではありません。

即ち、貴方の価値は「人」である貴方にしか決められないのです。

 

そして、更に話を転がしますが

 

メカはそうして自分の「価値」を悩みながら作ろうとしています。

今日、市役所に行ったのもその為だし。

今すぐに援助が受けられる訳ではないから生活は苦しいけど

その一歩を出さなければゴールは近付いてこないのよ。

 

その証明を、今から始めようじゃないか。

その為に、生きてるんだから。

決意と決断

皆さん、こんばんは。

本日は2月1日。

これまでの、辛さなどをリセットし

歩き出す事を決意したものの・・・(笑

行動できず、尻込み中です。

 

ですが、自分にとって

一つ、朗報が。

1月中、仕事に殆ど行けていなかった状況を鑑みて

職場との話し合いの結果

「仕事の日数を減らす」方向でまとまりました。

とはいっても

皆さん、ご存じかと思いますが・・・

メカの目標は、介護職を脱し、夢である小売業を行う事。

 

そこで

今日、仕事をサボって(おいw)近所のフリーマーケット会場へ。

残念ながら日程が変わっていたようで、開催現場そのものは見られませんでしたが

現地で改めて

「あぁ、人に縛られないっていいなぁ。」と痛感。

 

やはり、自分の性格上

「自分の力で糧を手にする」という事が

性に合っているようです。

 

勝手ながら

メカは、ある夢を追っています。

それは、考えを同じくする友人や知り合いと

小売を生業に生きていく事。

上下などなく、スマートに生きていきたいものです。

 

と、夢を語るメカは情熱に燃える一方

その情熱を今朝の出勤前

尤も落ち込んでいる時に昇華できない物か?と悩んでいるメカです。

 

夢と現実の遠心分離

・・・辛いですよね・・・。

しかし、今月乗り切れば

収入も戻りますし、機材なども買えるし

・・・まずは、今月を乗り切りましょうかねぇw

 

という

決意と決断です。