口実と葛藤

皆さん、おはようございます。

本日議題?にするのは社会人あるある。

 

「休日明けの朝」について。

これは、誰しも「仕事、行きたくねぇ~」に陥る朝ですね。

数年前、話題となったサ〇エさんシンドロームが記憶に新しい。

が、しかし。

筆者であるメカは、これがほぼ毎日続きます。

たとえ、休日であっても。

 

そこで、一番問題なのが

意を決して仕事を休む一報を職場に入れる時です。

休む為の「口実」と休む事への罪悪感と「葛藤」する事。

 

筆者の場合、職場のお偉いさんには

パニックであることを伝え、通院中であるとの旨を既に知らせ済みなのですが

それでも、やはり罪悪感が大きい事と

パニックへの理解がどれだけあるのだろうか?と勘ぐってしまう部分が。

 

そもそも「パニックの発作が起きてしまったので」と休む人はいるのか?

だとするとそれは余程、勇気のいる事だし、それに理解を示す企業が羨ましい。

 

自身が働いている場は介護という特殊な部門ではある

しかし、爆弾を抱えた筆者を有無を言わさず採用してくれた事に恩を感じている。

否、最早どの企業でも若者たちの心的疲労は多く

何かしらの事情がある者は居るのであろう。

そこで、否応なしに上の人たちが寛容さを要求されている時代なのだろう。

 

事実、今

「パニックで・・・。」と素直に連絡をしたとしても

上司たちは眉を動かしても、それを言葉には出さないだろう。

 

今、事情があって休職している方、又はその手前で努力を重ねている方

ここで、一人ではないのだと安堵して欲しい。

我々の身を案じ、言葉を飲んでくれる方々に支えて貰っているのだ。

それは、とても素晴らしい事だ。

このブラック企業だ何だと言われる時代に、見守ってもらえる事を。

 

だが、同時に

こうして呑気に筆者はブログを綴っているが

実は、仕事を休むべきか、体調を押して出るべきかを悩んだ末

その「今」を書き殴っている状態にある。

 

結論から言えば

筆者が選んだのは「休む」事である。

それには理由がある。

単に気分が悪いから。というものでもなく

気分が悪い→トイレに駆け込む→スッキリする→仕事に行く

この一連の行動に依存しているからだ。

この「トイレに駆け込む」という事に筆者は依存?している

トイレに行って出すもんさえ出せばスッキリする事を学んだ筆者は

その手を使って仕事に行く事が多い。

だが、それは先生(医者)から言わせると自傷行為への依存だそうだ。

 

筆者のこの行動は

もはやルーティンと化している為、中々直らない現象である。

現に、今朝も「休む」事を決めるまで

玄関とトイレの間をウロウロしていた現状である。

 

精神的な事情を抱える皆さん、又は多忙に追い詰められている人々

どうして、そこで頑張るの?

確かに、生活の為。っていう大義名分があるのは筆者も同じ。

でも、それで、自分が壊れるとか

馬鹿馬鹿しくないか?

筆者は、今日を休む事にした。

だから、明日は貴方が休む番だぞ。

そうやって、世界は回っているのだから。